伊勢佐木町のカート・コバーン
ある友人にこう言われたことがある。
「歌舞伎町って、でっかい伊勢佐木町みたいだよね」
その猥雑さも人通りの多さも大分スケールダウンするが、確かに伊勢佐木町は「ちっこい歌舞伎町」のようでもある。
一時期は、かつて“伊勢ブラ”などという言葉が流行したのがウソのように閑散としていた頃もあったが、それもカレー博物館などのおかげで、かつての賑わいを取り戻しつつあるかのようにも見える。
今では国民的人気を誇る、とある“フォークデュオ”が、アマチュア時代によく演奏をしていたのが、同じ伊勢佐木町は松坂屋の前である。それに肖ってか、弾き語りの聖地と化した松坂屋前には、閉店後にフォークギターをかき鳴らす若者の姿をよく見かけるのである。私はそこに、歌舞伎町には決してない、スケール云々ではない、稚拙に感動を強要する傲慢さに、ある種の熱や、ある種の猥雑さを感じていた。
彼を見掛けたのは、まさにその松坂屋前だった。夜、ふと通りかかると、またいつものように似たり寄ったりの音があちらこちらから聴こえてくる。これではフォーク・ハラスメントだ、と思いながら、あるメロディーに足が止まってしまった。デヴィッド・ボウイの「世界を売った男」だ。音の鳴る方へ目をやると、そこにはTシャツ一枚にボロボロのジーンズ、肩にかかるまで伸びた髪を真ん中で別けた、頬のこけた男がギターを爪弾いていた。
驚いた。カート・コバーンにそっくりである。ルックスだけではない。歌声までそっくりだ。周囲を見渡すと、何組か向こうのデュオにパラパラと人だかりができているだけで、このカートによく似た男の前には私一人しかいない。この男が発する、カートによく似た声。あのしわがれ方、裏返り方、そして繊細なハイトーン。生まれ変わりなどという言葉は、使えば使うほど安っぽくなると思うのだが、この日ばかりは脳裏に浮かぶのがこの言葉ばかりだった。カート・コバーンの生まれ変わり。それをモットーに掲げていた某タレントも腰を抜かすはずだ。
「世界を売った男」が終ると、なんと男は「ペニー・ロイヤル・ティー」を演奏し始めた。涙腺が一気に「グッ」と緩み、それを紛らわすために周囲をわざとらしく見回す。案の定、このカート似の男には誰も目をくれず、人々は通り過ぎるか、他のデュオのアコギに軽く首などを揺らすだけ。恥ずかしさというか照れ臭さと言うか、例えようの無い感情に飲み込まれてしまいそうだったので、私は「ペニー・ロイヤル・ティー」を振り切って、無理矢理に関内駅へと足を向けた。
翌日は、もう仕事が手につかない、なんてものではなかった。あの男は一体…。時計の針が定時の17時45分を指すといち早く会社を飛び出し、意識はもう関内駅へと向かっていた。18時30分にはもう関内駅に着いてしまったが、松坂屋の閉店まではまだ時間がある。馬車道のディスクユニオンと、その隣にある純喫茶風のカフェ「ウィーン」で時間を潰すことにした。
そして頃合をみて、伊勢佐木町の松坂屋まで足を運ぶ。カート似の男は、昨日と同じ場所で、もう演奏を始めていた。「アバウト・ア・ガール」である。またもや体が硬直してしまった。やはりそっくりだ。外人が流しをやっていることなどは今どき珍しくも何とも無いだろうが、今、この瞬間に、この男を注視しているのが自分一人だということが、何だか腹立たしいようでもあり、同時に誇らしくもあった。
曲が終ると「カム・アズ・ユー・アー」が始まり、心の中で「待てよ…」と思った。「カム・アズ・ユー・アー」の後はヴァセリンズの「ジーザス・ダズント・ウォント・ミー・フォー・ア・サンビーム」。そう、男は、ニルヴァーナの「MTVアンプラグド」を再現しているのだった。
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この事実を理解した時、どうにもいてもたってもいられなくなり、とりあえず私なりの最高の敬意の表現として、私は昨日より三歩ほど、彼に近づいて演奏に耳を傾けた(とは言うものの、まだまだ充分に距離をとってはいたのだが)。
曲は続く。「ダム」「ポーリー」「オン・ア・プレイン」とキラーチューンが立て続けにかき鳴らされ、気がつくと私は眼鏡をずらし、手の甲で流れる涙を拭っていた。「オール・アポロジーズ」が終ったら、ラストはそう、レッドベリーのあの曲である。
http://youtubech.com/test/read.cgi%3Fdl%3DqzPZ2ONFioY%26ext%3D.flv -Leadbelly Where Did You Sleep Last Night?
彼はカートの絶唱を完璧に再現していた。バカだと言われるのを恐れずに言えば、憑依とはこういうことをいうのだろう、と思った。ただただ言葉を失った。ほとんど無意識に彼に近づくと、これまた無意識に握手を求めていた。彼の弱々しい反応。チョコン、と握って返す。彼は酷く震えていた。冷え込む夜にTシャツ一枚。それは寒かろう。ジャケットを脱いで「着るかい?」と英語で語りかけようとしたその刹那、彼は恐ろしいほど青い目を向けてこう言い放った。
「・・・はてなパーカー欲しい!」
完璧な日本語だった。Tシャツの胸元にはバッヂが付いていて、バッヂにはこう記してあった。
「id:Kurt_Cobaine」
末尾に「e」が多いような気もするが、まぁそんな人生も良かろう。
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