オナラでわかる、今日のコンディション 〜「グエムル 漢江の怪物」〜

グエムル 漢江の怪物」を観ました(@チネチッタ)。
殺人の追憶の監督、ポン・ジュノが満を持して放つ怪獣映画。新人監督によく見られる「ステップアップのために、ジャンルを選ばず撮ってみました」という受身のモチベーションではなく、「オレが撮るんだったらこんだけオモロイもんにしたる!」という、能動の力強さと確固たる自信のようなモノが感じられる傑作だと思いました。こんなことを言うと安っぽくなって嫌なのですが、本当に簡単に例えるなら「大人の鑑賞に堪えうる怪獣映画」ではないかと思いました。
「殺人の追憶」では、「犯人を追いかけ、手が届きそうな寸での所で獲り逃し」という“焦らし”の繰り返しで観る者をグイグイグイグイ牽引していきましたが、「グエムル」でも基本構造は同じ。「殺人鬼/怪物」を追いかけていく過程で、一人倒れ、一人捕まり、心身ともに磨耗していくのも同じ。笑って良いのやら悪いのやら、という微妙なテンションを切り取ってみせる様も前作同様、この辺りはもしかしたら今村昌平の影響かな?などと思いました。
ただ違うのは、「殺人の追憶」と同じように「怪物」が逃げてしまっては、それは怪獣映画としての枠をはみ出し過ぎだし、そこではちゃんと「お約束」を守り、残された家族が一致団結して怪物を退治して終幕となります。しかし、そこにある種のほろ苦い結末が用意されていて、その辺りが割と賛否両論のようですが、自分はあの終り方で正解、というかポン・ジュノという作家の個性がよく反映されているなぁ、と思いました。
「怪獣映画なのか、家族の物語を描きたいのか、在韓米軍批判をしたいのか、どっちつかずな映画」という批判的な意見も各所で見受けられましたが、本当に強度のある映画はカテゴライズという網をスルスルとぬけてみせる、ということがよくわかる作品でもありました。