アンタ達、狂ってるわ!〜「サイレントヒル」〜
「サイレントヒル」を観ました(@109シネマズMM)。
私はゲームに全く疎い人間なのですが(最後に所有していたハードはスーパーファミコン)、一般的にゲームに「まるで映画のようだ」というと褒め言葉に、映画に「まるでゲームみたいだ」というと蔑みの言葉になりますよね?もちろん例外もあるでしょうが、そうなると必然的に「映画:上、ゲーム:下」というヒエラルキーが出来上がる気がします。私はそんなこと思った事もありませんが(自分が知らないだけで驚くべきクオリティのゲームは沢山あるだろうし、糞みたいな映画はそれこそ糞ゲーより遥かに多いはず)、確かにユーザーの最大公約数で言えば映画ファンの方が多いような気がするし、ゲームがヒット→遂に映画化!といった言い回しもよく目にするような気もします。
つまり、何となく映画サイドの「エッヘン、まぁ映画にしてやらなくもない」的な、変な奢り昂ぶりが、これまでゲーム原作の映画には感じられた気がするのですが、「サイレントヒル」の場合、その辺りに物凄くオリジナルであるゲームに敬意を払って、その独特のビジュアルを再現している感じがヒシヒシ伝わってきました。霧かと思ったらシンシンと降り積もる灰、炭化した赤子のようなクリーチャー、壁の塗料がメラメラと焼け落ち剥き出しになる鉄骨群、そして極めつけは「捕まると有無を言わず殺されるよ!」という屠殺人的な三角頭の人(画像参照)。とにかく、映像化されたガジェットがいちいちセンスが良く、それに加えてビジュアルを引き立てるためには「イイよ俳優なんてただのコマで」とばかりに、誰もが知っているような俳優さんは出演しておらず、この選択も大正解だったように思えます。
映画を目差して作られた(かどうかは知りませんが…)ゲームを、映画がホラー映画として、ゲームの優れたビジュアルを再現しようと実写で映像化するというパラドックス。物語の真相が明かされるシークエンスを、そこに行き着くまでの過程を含めて“ゲーム的に”描き、その真相の語り口はハマーフィルムを(物質的に)劣化させたような手法を用いて“映画的に”語る、という面白さ。「小説から映画へ」という生産ラインに、「ゲームから映画へ」という新たなラインが本格的に加わった、「サイレントヒル」はそんなターニングポイントとして今後は語られていく作品の様な気がします。
しかし、ぶっちゃけて言ってしまえば穴も結構目立つようなこの映画のことを、何故私はこうもウダウダ語りたくなったか?それはクライマックスのシークエンスの素晴らしさ故です。
積年の恨みを晴らすため、復讐者は地獄の底から這いずり上がり甦る。そして、死に値する虫けらのような輩が虫けらの如く惨殺され、その返り血の雨の中を「♪ピッチピッチ・チャップチャップ」と少女がスキップを踏む、なんていう描写は「吐き気がするほどロマンティック!」で、本当に素晴らしかったです。クライマックスの地獄絵図は、舞台を体育館から教会に移し、ジョックス共が狂信者に変換された、そうそれはまるでハードコア版「キャリー」のようでした。そこで私は「殺せ!キチガイ共をブッ殺せ!」と声無き声を心の中であげていました。
なので私には「殺人者」を批難する資格がないと思います。
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