「華氏911」を観ました。

この映画は、認識したくなかった事実を再認識させられてしまう映画でした。それは「ブッシュはそれほど悪人ではないのでは?」という事。「ブッシュはそれほど馬鹿じゃない」とコメントしたゴダールの言うとおり、それほど馬鹿じゃないかも知れません。「それほど」どころではなくて、もう馬鹿とかマヌケとか、そういう概念を軽々と超越してしまっている「面白っぷり」がフルスロットルなのですから。
映画の前半に「WTCに旅客機が突っ込んだ、との知らせを受けるブッシュ」という映像が登場します。彼はその知らせをどこで聞いたのか?よりによって小学校を訪問している最中にです(それも朝の9時から!)。この天才的な間の悪さ!子供達を前に、彼は「うわぁ〜やべっ。どーしよぉ」と困惑の表情を浮かべつつ、手持ち無沙汰に絵本などをパラパラめくったりします。この時の彼のオモシロ顔と言ったら!おそらく世界中のコメディアンはこのパフォーマンスに地団駄を踏むはずだし、発展途上で映画産業に活気がある某国や某国などの映画制作者がこのシーンを観たら「金に糸目はつけん!すぐあの男を引っ張ってこい!」と言うでしょう。その他にも「テロリストには屈しない。ではここで私のショットを…」パシっ!だって。とにかく全編に渡って「面白ブッシュ」のオンパレードなのです。
更なる「ブッシュ善人説」を裏付けるべく、ここで皆さんに独裁者の解りやすいイメージである「チョビ髭」を思い浮かべて頂きたい。それを画像のようにブッシュに貼り付けてみましょう。
・・・いかがですか?完全に「やらされてる人」ですよね?
これをラムズフェルドやらウォルフォウィッツやらリチャード・パールの顔に、チョビ髭をのせてみて下さい。・・・どうでしょう?見る見るうちに「チョビ髭」が母体と同化を始め、それ自体がどんどん水を得た魚のように主張し始めはしないでしょうか?右手が真っ直ぐ「ピッ」と斜め45度に掲げられるまで時間の問題という感じがします。「ヒゲをつけられちゃった人」と「無いヒゲを無意識に撫でている数人の側近たち」。一体、本物の悪人はどちらなのでしょうか?
華氏911」は、ブッシュを散々槍玉に挙げておきながらも、ジョージ・オーウェルの「問題はそれほどシンプルではない」とった旨の文章を引用し、ジレンマを訴え、ただそれでも「ブッシュにさえ投票しなければ、最悪のケースが再び繰り返されることはないであろう」という一応の結論に至っています。「ボウリング・フォー・コロンバイン」に比べ、この一連の流れは必ずしもスムーズとは言い難いし、911以降で括れば色々と端折られた事柄が多すぎます。
ドキュメンタリーの存在意義には「知られざる事実にスポットを当てる」という側面があります。「華氏911」という作品は、映画というメディアを通じて、ベトナム湾岸戦争など、アメリカが関わった戦争において封印され続けてきた「国内で報道されなかった戦争の真実」を、わずか1年足らずの期間で、今まで選挙に全く関心が無かった層にまでアピールする、という偉業を成し遂げた作品です。そして、「何としても大統領選の前に上映に漕ぎ着けてみせる!」と制作された、マイケル・ムーアのパーソナルな雪辱戦であり「うらみ節」なのでしょう。「ボウリング・フォー・コロンバイン」に比べ、ナレーションがかなり多いのもそれを裏付けているように思えます。
最後に、ただひとつ心配な点もあります。それは今まで選挙権を登録していなかった人々が「ブッシュって最低だな!」と思うのは良いとして、「描かれているのは既に知っている事実ばかり」と否定しているインテリ層がこの映画のブッシュの面白っぷりを目にして、「黒幕どもは最低だが、ブッシュって実は結構イイ奴なんじゃないの?」という印象を持ってしまうのではないか?という事なのです。
え〜と、ゴダールは何て言ってましたっけ?・・・あっ!!!