タイトル未定【第2章】 (【第1章】はコチラ)

WAVEが姿を消した後でも、牧男はごく稀に六本木へ足を運ぶことがあった。西麻布にある、都内では老舗的存在のクラブ。90年代初頭にオープンしたこのクラブで、ハウスのイベントが行われる日を選び、牧男は客を取っていた。
何故ハウスのイベントの日を選ぶのか?大した理由は無かった。ただ、四つ打ちのキックに導かれ、それに合わせる様に腰を振り早く達する客が多かったのは事実だ。自分で選んで始めた副業だが、楽しくて仕様が無い、という訳でもなく、どちらかと言えば客には出来る限りサッサと尽きて貰った方が有難かった。
牧男は特にハウスミュージックが好きということでもなかった。アーティスト名などはどうでも良かったが、ディスコティックなフィルターハウス、フレンチハウスなどを聴いていると、多少は気分が高揚しているのを自覚出来た。ベースは地を這うかのごとくうねり体に纏わりつき、くぐもった音は徐々にクリアになって行き、キックは規則正しく体内の全ての感覚を刺激する。便所の個室で客から突き上げられているその瞬間、壁にダラリと両腕を預け大音量を享受している正にその瞬間、牧男はフロアに蠢く欲望と言う欲望を自分ひとりで請負っているような気分になった。
その男と知り合ったのは、六本木ヒルズがオープンして間もなくのことだった。青々とした髭の剃り跡、おかっぱ頭をボサボサにしたようなそのヘアースタイル、漆黒のサングラスという風貌は、特に印象深かったというわけではないが、何故か忘れることが出来なかった。その男は牧男のスケジュールを完全に掌握しているかの如く、牧男が商売をするその日には必ずそのクラブに現れた。
「これ、あげるよ」と、その男は事が終わってからレコード店のビニール袋を差し出した。呆気に取られながらも袋を受け取ると、袋の透明な部分からどうやら中身はTシャツらしいことがわかった。「いや、いつも同じ服着てるからさ」と言い残し、男は便所を後にした。袋を開けて中身を見てみると「A BATHING APE」というロゴが目に入った。同じロゴが踊るデザイン違いのTシャツが三枚入っていた。牧男はファッションなどにはまるで執着が無く、知識も無かったので、クラブで唯一交流がある、バーテンの瑶子に聞いてみた。そのTシャツ三枚で合計七万円はくだらない、と瑶子は言った。牧男は驚いた。牧男が一日客を取ったとして、チップも含め七万も稼げる日は滅多にない。たかだかこれぽっちの布切れで七万円。「私の学校でふっかければ、もっと高く売れるかもね」と瑶子が言うので、牧男は三枚全部をあげてしまった。大はしゃぎする瑶子の脇を抜け、牧男はクラブを後にした。 (続きはid:gotanda6さんの日記にて)