名前のない馬「ブレードランナー2049」


※小説『ブレードランナー 2、3』と映画『ブレードランナー 2049』の内容に触れています。

 映画「ブレードランナー 」の続編が正式にアナウンスされた時、K・W・ジーターによる「2、3」の存在を知っていたので、それらの映画化ではない、新たな続編としてのオリジナル脚本であるとの情報に、何故そんなことをするのか?と訝しんだものだが、小説「ブレードランナー 2、3」を読んだ今ならそれがよくわかる。
 K・W・ジーターという作家。デビュー作『ドクター・アダー』でサイバーパンクを発明したと言われた男。その「ドクター・アダー」で序文を寄せているのが誰あろうフィリップ・K・ディックその人である。PKDの意志を受け継いだジーターは、「ブレードランナー2」刊行前に、ローカス誌のインタビューに答えて以下のように述べている。
 「おもちゃ箱を二つ与えられたようなもの。一つの箱には『ブレードランナー』と書いてあり、もう一つには『アンドロイドは〜』と書いてある。両方のピースを全て使えとの指示も、自前の要素を加えるなという指示もない。映画のディレクターズカットの終わりから始めるのが前提だが、かといってあまり逸脱し過ぎるのも良くない」
 結果としてジーターの綴った「ブレードランナー 」その後の物語は、「2」を上巻、「3」を下巻とするような、壮大な物語となっているのだが(日本では未翻訳だがジーターは「4」まで執筆している)、土台とした映画「ブレードランナー 」、及びP・K・ディック原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の世界観を、良い意味で引っ掻き回すというか、もっと言えばやりたい放題に、かつオリジナルのテイストを損なわない匙加減でミックスした「極上の二次創作」といった感じの小説なのである。そして小説「2、3」よりも年月が経っているのが「2049」だが、話は繋がりそうで繋がらず、ゆえに全く別の時間軸の話と捉えるのが正解だろう。だが、いくつかジーターの綴った続編を参考にしていると思われるポイントもあるので、それについて記すことにする。

 かいつまんで紹介すると、「ブレードランナー 2 レプリカントの墓標」は以下のようなストーリーである。

 映画「ブレードランナー 」と小説「アンドロイドは〜」でも触れられた、“第六の逃亡レプリカント”探しがメインのストーリー。主な登場人物はレイチェルの原型(テンプラント)でありタイレル社を引き継いだ故エルドン・タイレルの姪:サラ・タイレル。レオン・コワルスキー型レプリカントに狙撃されたが生きていたデッカードの同僚ブレードランナー :デイヴ・ホールデン。ロイ・バティ型レプリカントのテンプラントである傭兵上がりの男。老人病の進行により四肢を切断してしまったセバスチャン。そしてもちろん主役は映画の前作で逃亡を図った山奥でレイチェルと隠遁生活を送っていたデッカード。第六のレプリカント探しの背景には国連を巻き込んでの陰謀が浮かび上がり、最終的にタイレル本社は爆破(!)される(「2049」では、倒産したとされる旧タイレル社のビルらしき巨大な影が映る)。

 「ブレードランナー 3 レプリカントの夜」はタイレル社爆破から逃れて火星植民地に辿り着いたレイチェルとデッカードの物語となるが、実はサラとレイチェルは「2」の最後で入れ替わっており、その事実に既に気付いていたデッカードであったが、お互いに口には出さず、火星居留地のボロアパートで冷え切った同居生活を送っていた。金銭的に困窮したデッカードは自身のブレードランナー 体験が映画化されることになり、アドバイザーとしてのオファーを受けて地球外軌道に建設された“アウターハリウッド”で行われる撮影に参加していた。そこでレオン型レプリカントが撮影中に実弾で射殺される事件が発生。デッカードは宇宙植民地で蜂起した反乱レプリカントと国連との争いに巻き込まれていく。

 「3」で明かされるサラの出生の秘密。ここには「2049」の原型となるようなテーマが既に描かれていた。それは「レプリカントの生殖能力」についてである。

 「2049」は西暦が示す通り、映画「ブレードランナー 」から30年後の物語。より人間に従順であるように設計された新型レプリカントにしてブレードランナー のK(ライアン・ゴズリング)が主人公であり、寿命のないネクサス8型のレプリカントを解任(処刑)するのが彼の任務である。任務中に偶然発見したレイチェルの骨。骨からは彼女が出産していた事実が判明する。レプリカントは子供が産めないはずなのに、一体何が起きたのか?この世に生を受けた、レプリカントを母親に持つ双子。度重なる偶然から、Kは自身こそ“その子供”なのではないかと思うようになる。

 「ブレードランナー 3」のサラ・タイレルは、サランダー3号という宇宙探査船で生まれているが、両親は地球帰還前に死亡、宇宙船のコンピュータシステムにより育てられた。「3」の終盤にサラは、レイチェルという双子の姉妹(レイチェルはサランダー3号内に隠されており、物語の中盤に子供のままの姿でサラに発見される)の存在が明らかになり、二人はレプリカントの父親と母親から生まれた子供であることが判明する。デッカードが愛したレプリカント:レイチェルは、この「レプリカントが生んだレプリカント」、つまりレプリカント同士の間に産まれた第一子であるレイチェルを元に、エルドン・タイレルが創り上げたコピーのコピーであった。

 何故レプリカントが繁殖可能になったか?それは地球外世界:オフワールドでの生活において、レプリカントにはより人間的な感覚が芽生え始め、その植民地で暮らし始めた人間たちは、逆に人間性を失っていき、フォークト・カンプフ検査もパスしなくなってしまう。そして人間は不妊になりオフワールドの植民地では子供が産まれないという、人間とレプリカントの逆転現象が生じる事態に陥っていた。タイレル社のモットーである「人間よりも人間らしく」が皮肉な形で現実になったのだ。

 「2049」では長年論争となってきた「デッカードもレプリカントなのか?」問題に、(明言はしないまでも)一つの答えを出していると言える。タイレルからレプリカント製造業を受け継いだウォレスは、タイレル社でのレイチェルとデッカードの出会い、初めてのフォークト・カンプフ検査、それらが「もし最初から計画され定められているとしたら。彼女に心惹かれるよう、デザインされているとしたら?」という旨のことをデッカードに告げる。このウォレスの言葉を汲むなら、レイチェルとデッカードとの間に産まれた子供は、レイチェルの骨が見つかった時点で想定していた「人間とレプリカントの間に産まれた子供」より、より大きな意味を持つこととなる。ウォレス演じるジャレッド・レトは、たっぷりと溜めた演技で、こう呟く。「procreation.」と。ウォレスの最側近でありレプリカントのラヴ(シルヴィア・フークス)は、その生殖の証拠を始末したと話すロス市警のジョシ(ロビン・ライト)に激しい憤りを露わにし、殺してしまう。
 厳しい現実に直面し事実に打ちひしがれたデッカード(ハリソン・フォード)は、涙を堪えながら、ボソリとこう返す。「I know what's real.」

 デイヴ・バウティスタ演じるサッパー・モートン。Kに最初に“解任”されるレプリカントだが、死の間際にこんな台詞を残す。「お前らは奇跡を見たことがない」。ジーターの「ブレードランナー 3」で提示された、オフワールドでの環境によるレプリカントと人間の変化を、「2049」では「奇跡」というシンプルな形に落とし込んでいるのだが、そこに説得力を持たせているのが、Kが出生の謎を巡り運命に抗いながら辿る、その神話的な道筋である。

 それにしても、「2049」のK:ライアン・ゴズリングの今回のパフォーマンスは素晴らしい。今回はデッカードとロイ・バティを足して2で割ったような役とも言えるのだが、物語が進行に沿ってレプリカントである彼が徐々に人間味を増していく様を、ゴズリングはルトガー・ハウアーとはまた異なる手法で表現豊かに演じてみせる。いかにも捜査官という体の勿体つけた登場に始まり、ロス郊外の荒地をスピナーで飛行中にジャンク民?から攻撃を受け、落下中にも関わらず飄々としている様、襲撃者をバックブリーカーで残忍に痛めつけ、行く手を阻む者は機械的な動きで容赦なく瞬殺。そして、朧げに浮かび上がる「木彫りの馬」の思い出に困惑し、非情な運命に直面し涙を流す。自身が“選ばれし子”であることを確信してからの(おそらくレプリカントとして生きてきて初めての)感情を爆発させるシーンなど、どれも強い印象を残す。

 反乱レプリカントのリーダーから「大義に死ぬことが何より人間らしい」と聞かされたKが、最後に選んだ大義。人間よりも人間らしく。前作「ブレードランナー 」のロイ・バティが訴えていたのとはまた異なる形で“人間性”のなんたるかを、「ブレードランナー 2049」は示しているのだ。