ペントハウスへ連れてって 〜「スモーキン・エース」〜


「スモーキン・エース/暗殺者がいっぱい」を観ました(@TOHOシネマズ横浜)
何かこう、もう一工夫で傑作になったのにナァ…という感じは、最近もこの手のジャンルであったような気がするけど何だったっけ?と思ったらそれは「ラッキーナンバー7」でした
両作品に共通している鑑賞後の第一印象は「もっとフザケて良いのに」。本作品の監督、ジョー・カーナハン、デビュー作「ブラッド&ガッツ」では、「○○人が…」という馬鹿馬鹿しいオチを物凄くマジに説明したり、出世作となった「NARC」では、ほとんどの人が予想出来る「そうなんじゃないかな」というオチをこれまた生真面目かつ2時間ドラマチックな浪花節で紐解いてみせたり。そして今回の「スモーキン・エース」でも、とにかく真面目な人なんだろうなぁという印象をより強める事になりました。

だってネオナチ3兄弟って!コモンのオジちゃんが編みタイツのアリシア・キーズをお姫様だっこって!その他、面白ガジェットを各所に配置しておきながら、背骨としてガッツリあるのは「取り残された者の哀しみ」みたいなテーマで、それを照れ一つ無く大マジで描いて見せたり(ここぞという時にクリント・マンセル*1の感傷的なスコアが鳴る)。しかしながらこの辺のアンバランスな感じが、作家性として見るとちょっと興味深くはありました。
「ラッキー〜」のポール・マクギガンにしろ、ジョー・カーナハンにしろ、70年代のジャンル物やブラック・エクスプロイテーション物の影響を顕著に感じます。それらの作品のベタな展開やウソ(現在に置き換えると若干リアリティに欠ける点など)を正攻法として愛情を持って描く手もあるだろうし、一方で愛情が溢れすぎているが故に「それならベタとウソで全部コーティングしちゃえばイイじゃん」という手法を選択する手もある。前者に比べ、後者は一歩間違うとコントになってしまうので、非常にセンスと体力が問われると思うのですが、それを見事にやってのけたのがキル・ビルなのかなぁ、などと改めて思ったりしました。
と考えると、正攻法の現代劇で、しかも復讐物で、リアルとウソの狭間で奇跡的なバランスで立脚していた「フォー・ブラザーズ」って、もうちょっと評価されても良い作品のような気がします。「キル・ビル」で青葉屋が現実を歪めたように、「フォー・ブラザーズ」ではモーターシティ・デトロイトの吹雪く銀世界が、現実感を歪めていました。